漫画家つげ義春は鄙びた鉱泉宿を好み、若かりし頃は全国各地を旅している。その旅のなかでも、”年金暮らしの下見”を兼ねて訪ねたのが養老渓谷。房総半島の中央に位置し、新緑や紅葉の渓谷散策もさることながら、黒褐色の温泉人気も高い。現在10軒の宿が養老渓谷温泉郷として点在し、このうち1軒だけぽつりと離れているのが川の家だ。

隠れ湯の宿 川の家

渓谷めぐりのメインアクセスとなる県道81号線から細い道へと折れる。素掘りのトンネルは昼間でも薄暗く、ゴツゴツとした岩肌と鬱蒼とした雰囲気が不安をかき立てる。やがて見える光の先は養老川の渓谷だ。川の家は断崖絶壁の川べりに建つ。建物の土台はH鋼で支えられ、よく見ると一部は空中にせり出している。

隠れ湯の宿 川の家

つげ義春にして「古ぼけた宿屋」と言わしめた佇まいは、時を経てさすがに建て替わっているが、取り巻く景色が変わらないから秘境感はそのまま。ロビーに雑誌の切り抜きを飾っているのは俗っぽいが、つげ義春による集客効果も多少はあるのだろうか。

隠れ湯の宿 川の家

この宿の名物は洞窟温泉だ。むしろ防空壕を思わせる狭い空間には、白々と湯気が立ち込め、丸くくり抜かれた小窓から光が差し込む。水音を立てるのさえ憚れるようにひっそりとし、なぜか侘しい気持ちにさせられる。つげ義春の足跡を辿るべくして訪ねた洞窟温泉だが、いざ目の当たりにして、ふと思った。養老温泉の湯にいつまで浸かれば満足するものかと。

隠れ湯の宿 川の家

光の先はどこへと通じているのか。明るいうちに帰りたいと思った。


隠れ湯の宿 川の家
源泉/養老温泉(ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉)
住所/千葉県夷隈郡大多喜町葛藤932 [地図]
電話/ 0470-85-0021
交通/小港鉄道養老渓谷駅より徒歩25分
料金/日帰り入浴1,000円
時間/日帰り入浴11:00~14:30